十六世、二十世本因坊 秀元って

本因坊秀和の三男で、次兄は秀栄名人である。
秀悦が精神病であることもあり、林家にはいっていた秀栄により、三段でありながら
本因坊を継ぐ。ただし、まわりに高段がいる中では、三段の本因坊は失笑を買って
いたようである。秀栄が林家の泊栄未亡人が亡くなるのを待って本因坊家に復帰した
ため、三十一歳で隠居をさせられた。秀栄の政治的思惑による犠牲者ともいえる。
秀栄勃後、後継問題がこじれた時には、二十世本因坊として、再襲して、1年たって、
田村保寿(秀哉)に本因坊を譲った。
本因坊にいる時、一日だけ、六段になったこともあり、なかなか茶目っけもありそう。


十六世、二十世本因坊 秀元の棋譜からです。 vs 高井 寅三朗 1911年08月03日 vs 小林 鉄次郎 1878年01月13日 vs 喜多 文子 1907年10月16日
1911年08月03日(明治44年) 土屋 秀元(白) vs 高井 寅三朗 高井 寅三朗 中押し勝ち 出典:明治碁譜 瀬越憲作著 vs 高井 寅三朗 秀元が二十世本因坊を引退したあとの碁。 高井寅三朗は坊門に属し、坊門の新聞碁選手として活躍していた。
1878年01月13日(明治11年) 土屋 百三朗(黒) vs 小林 鉄次郎 土屋 百三朗 中押し勝ち 出典:明治碁譜 瀬越憲作著 vs 小林 鉄次郎 土屋百三朗は秀元の若いころの名前。明治碁譜には奇人棋士としっかりかかれて いるな。
1907年10月16日(明治40年) 本因坊 秀元(白) vs 喜多 文子 本因坊 秀元 4目勝ち 出典:明治碁譜 瀬越憲作著 vs 喜多 文子 154手目が棋譜にのっていないので、嘘かもしれない。 ただ、168手で継ぐので、きっとここだろう。 喜多 文子は女流の発展に寄与されたそうで、日本棋院創立後も活躍。
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