過去の囲碁日記:2005.05.01 〜 2005.05.15 分

2005.05.01(日): コミの有り無し

いや〜ん、全然打ってない。
まずいというわけではないが、ここに書くネタが無い(苦笑)

さて、少し前に自分の1子上の人とうっていて、いざ同じ級になってみると相手の
強さが身にしみてわかるね。それまでは、同じ級になってもまあ勝てるだろう
なんて甘い考えでいたけど、少し打ち筋がかわってきている(どっちの ?)のか、
勝てないって感じだ。

それはそうとおいといて、プロのコミ無しの碁とコミ無しの碁って見分けが
つかないのかな。つかないならどっちを干渉してもかわらない気はするが、
なんとなく序盤に違いがあるのでわかる気もする。実際にためしてみてもらわないと
わからないかな。

2005.05.03(火): 昨晩ちょこっと

2005年 4月分、分割しました。

2005.04分

昨晩ちょこっとうってみました。
棋譜思いだせるだけ書いてみます。

対局データ 2005.05.02分棋譜

多分こんな感じで、このあとそっぽむかれたのは覚えているのだけど、どこにそっぽ
むかれたか忘れました。
白はこのあと、E-7にでました。これで、気分的には白が楽になったって感じ。
多分、白は、45,47,49が悪かったけど、49はなんとなく黒にたすけられたといった
感じだろうか。49は多分一路上が正解な気がする。

こんな感じだと思う > mさん (^^)

2005.05.04(水): CSK杯

この05.01〜05.03までの3日間は、昼からCSK杯がおこなわれていて、初日、2日目は、
16:00からしかみれなかったが、最後の3日目は13:00から見ることができた。
てっきり13:00スタートと思っていたら、12:30スタートだったのね。

日本、中国、韓国、中華台北の4ヶ国で、各国の代表的棋士5人選抜の、大会なので、
各棋士への応援もあるけど、国としての応援もでてくるので、休日のわりには、
観戦も普段より増えている感じがする。

今回は韓国優勝、日本は2位で、いい感じであるが、中華台北って、実は日本で活躍
している棋士4名が含まれているので、個人的には中華台北も応援しているのだが、
4位に終わっている。
張 栩、王 立誠、王 銘エン、林 海峯の4名(敬称略)。
他に周 俊勲さんっているけど、日本ではないよね?
中華台北は多分あまり人の入れ替わりはないと思うので、来年がんばってほしい。

2005.05.05(木): 札幌近郊の碁打ちの日記みっけ

札幌近郊の碁打ちの日記みっけ

漸苦労の囲碁日記

ネットはWWGo(KGSでもらしい)で打っているようですが、多分公式対局だろうから、
自由対局2にいつまでもいすわっている私とは打つことは無いだろう。
こうやって、高段者の日記などを探してきてはいるが、探しても役にたっているかは
かなり謎 (^^;; というか、役にたてようとしていないのかも。

2005.05.06(金): 頭いた。

本日、GW杯4局目。全然準備できていない。頭いたい。
対局はおろか、詰碁も、棋譜並べも、読書もほとんどできていない。
う〜ん、これは必敗か。3局目の直前よりは頭が冴えている感じなので、それを
信じたい。それともこれころが罠か(苦笑)

あと5局目も日程はきまったし、今晩の対局がきまったら6局目の日程調整をしよう。

2005.05.07(土): 行儀の悪い

昨晩のGW杯は勝たせていただいたけど、行儀の悪い碁でした。
途中大石をめしたったかなと思ったら、相手が攻めとりか、最悪セキ狙いの手を
してきて、脱出をくわだてたりして手数がぎりぎり一手差ではっきりと活きたのは
いいが、まだコウでがんばる筋がのこっていそうなので、最後まで気がぬけません
でした。
んで、最後死活がはっきりしないところに思わず切りにいって、相手のミスでとれて
しまいました。う〜ん、悪いことしたかも。

2005.05.08(日): 考え無しに

本因坊戦の第4局目の解説を札幌でもするらしい。
たしかに、解説だけなら、こっちに対局こなくてもいいが、毎日新聞は勧誘の電話が
きそうで、嫌だな。

昨晩は、関棋ネットで、札幌の向島さんと村川プロの対局があるということを思い
出して、22:00頃にいったらとっくに終わっていて、白黒どちらがどちらなのか
よくわからなかった。結果は本人から某掲示版にかかれているので、白がプロだったの
だろう。
そこでぼけらーっとWWGoをみてたら、珍しく関棋ネットで対局のお誘いがあったので、
受けてみる。
向先の白番。序盤早々、相手が定石を間違えたところをつけこんで、優勢のまま
終わった。きまりきった形なら何も考えないでいけるらしい > 自分。
だから考えなくなるんだよな。駄目だな。

2005.05.10(火): だまされたかな(苦笑)

週間碁に「幻庵因碩打碁集 福井正明著」と他に新刊案内ということで、
「逆転の極意 王立誠著」「アマの知らない定石 安部 吉輝著」の紹介があった。

「幻庵因碩打碁集 福井正明著」
    立ち読みでぱらっと読んだが、悪いけど税込み8400円は高すぎ。これだけ高いのに
    全棋譜でないというのが高いと思ってしまう原因だと思う。7割ぐらい集めた
    というのが中途半端なんでしょうね。全棋譜なら高いとはいえないと思うのだが。
「逆転の極意 王立誠著」
    王立誠先生の碁はむずかしいように見えるので、手をだしていないです。
「アマの知らない定石 安部吉輝著」
    タイトルから見て、まあ、定石を一通り覚えた人ようなんだろうなと思っていて
    手をだしていなかったのだけど、復刊ということで、週間碁の手にとって損はない
    という言葉に手をだしてしまったのが運のつき。1番最初の変化が気にいって
    しまって買ってしまった。税込み1050円。
    けど、買ったあと少し読んでいって後悔がはじまる。複雑な手順ばかり (;_;)
    まだ、星編までは読んでいないが、最初の直感はあたっていたという感じです。
    まあ、級位者で手をだすとしたら、定石おたく以外は手をださない方が無難な
    気がします。あとは、三段以上の人かな。

2005.05.11(水): システム定石って

はじめ簡明システム**石「星」って書いてあるからてっきり布石かと思って読んで
みたけど、なんか、星の定石ばかりで、まわりとの兼ね合いが少ないように思った
ので、あらためて表紙を見ると定石だった。
う〜ん、買うべきか買わざるべきか。
まあ、定石書は他にもあるからいいか。
ただ、大竹先生の考え方は少ない定石で、有効な方向をみいだせる事が多いと
いわれているので、星専門の定石書として読んでおいてもいいかも。

簡明システム定石「星」 大竹 英雄 著

けど、システム定石って何ぞやって感じ。

2005.05.12(木): 7月

最近色々とどたばたしていて、打っていない。
けど、来週の火曜の級位者の日には行ってこようかなと。
そういえば、ここ数日WWGoに顔をだしていたら、7月に何人かと打つことになったが
誰と打つんだっけ。メモしてないや。きっと相手が覚えているだろう (^^;;
これだから酔っ払いはいけないな。

7月は囲碁まつりがあるし、初段へのチャンス。打てるだけ打つように算段しておこう。

2005.05.13(金): if(江戸時代前半)

2004.08.20(金)のifの中から江戸時代前半から中期までの人で、それぞれどういう
理由で最強としておされているのかを見てみました。
ただ、私にはわからない人も多し。

本因坊 算砂
  初代名人。将棋もトップクラス。政治にもくわしかったのか、信長、秀吉、家康に
  つかえていた。そういう意味では、後述の丈和をまじえても政治をからめると
  はるかに上に名人として君臨しそう (^^;;

中村 道碩
  名人だけど、よく知らない。

安井 算知
  同じく名人だけどよく知らない。

本因坊 道策
  碁神とか、碁聖とか、実力十三段とかいわれています。江戸時代初期までの碁を
  調べていると押す人は多いようです。

本因坊跡目 道的
  神童とよばれ、道策と互先を2局打って1勝1敗。長く活きていれば道策を越えて
  いたかもしれないが10歳代で死去。小川 道的の方が有名かも。

井上 因碩(道節)
  道策には「名人とならず道知を育てよ」という遺言をのこされたようだが、色々な
  事情(主に外交上の問題)があって、名人となる。

本因坊 道知
  晩年(といっても30歳代に死去)の碁は本気で打った碁は無いといわれている。その
  根拠はいつもほぼ同じ目数で勝ちと負けとなっているからである。
  ちなみに名人になる前、いつまでも周りが推奨してくれないので、「本気で打つぞ」
  といったら周りがあわてたというのはこの人。

本因坊 察元
  本因坊家中興の祖といわれている人。色々と駆使して名人になった。


2005.05.14(土): if(江戸時代後半)

江戸時代後期の最強候補者からです。

安井 仙知(大仙知)
  江戸時代には珍しく中央思考の碁を打つ。

安井 知得
  囲碁四哲の一人。後述の本因坊 元丈とよきライバルで、互いに名人をゆづりあって
  名人位につかなかったが名人の腕があるといわれている。親の大仙知にはにず堅実な
  棋風。

本因坊 元丈
  囲碁四哲の一人。前述の安井 知得とよきライバルで、互いに名人をゆづりあって
  名人位につかなかったが名人の腕があるといわれている。どちらかというと大仙知に
  近い棋風を持つらしい。

井上 因碩(幻庵)
  囲碁四哲の一人。囲碁とは運の芸なりと言った人だが、名人には色々な不運に
  見まわれ結局は名人になれなかったが、他の名人級の人間と色々と打っている。

奥貫 智策
  丈和の先輩にあたり本因坊の跡目にもっとも近かった天才棋士。活きていたら、
  丈和の名人も無かったと思われるが、早めに死去。

本因坊 丈和
  江戸時代は碁聖といわれていました。ただ、明治時代になってから、各種の裏工作が
  世の中にでて評価が落ちましたが、その人格を切り離すならばその実力はまさしく
  名人でしょう。ただ、道策に勝てるかといわれれば、最初の十局は打ちわけるが
  その次の十局はとてもとてもといってたのと、秀策に対して150年来の碁才(少し
  違ったかも)とかいってたところを見ると、自身を歴代では最高位とはみて
  いなかったのかも。

赤星 因徹、
  井上家の秘蔵っ子。丈和との吐血の一局が有名。結核だったようでこの人も早めに
  死去。

安井 算知(九世)
  天保時代の四傑の一人。後述の坂口 仙得には2戦2勝だが、これだけでは優劣は
  つけられないとのこと。

坂口 仙得
  天保時代の四傑の一人。後述の大田 雄蔵には戦績はいい。

伊藤 松和
  天保時代の四傑の一人。

大田 雄蔵
  天保時代の四傑の一人。派手な棋風で頭をソルのがいやで、御城碁にでなかった
  強物。

本因坊 秀和
  囲碁四哲の一人。幕末のため、名人になれなかった。天保の四傑に比べても遜色なく
  勝率はきっと一番だろうと酒の席ではいわれていた。

本因坊跡目 秀策
  明治時代になってから碁聖といわれだしました。御城碁19連勝は記録としてもう
  抜けることもなく、また秀策流といわれる布石を送出し、最近ではヒカルの碁で
  有名になりました。その秀策も秀和には白をもったことが無いので、秀和との白が
  見たかったものである。

2005.05.15(日): if(明治〜昭和30年代)

明治〜昭和30年代の最強候補者からです。

本因坊 秀甫
  秀和師も秀策相手でも容易に勝たせはしないだろうといわせしめたが、幕末から
  明治時代ということもあり、囲碁を打つだけではなく、外国に広めるとかの商売も
  おこなっており、もう少し馬鹿だったら名人にもなれるだろうにといわれている。
  村瀬 秀甫の方が有名。

本因坊 秀栄
  名人の中の名人といわれている。明治後半の一大巨頭。ただその秀栄にしても
  「親父(秀和)とは打ちたくない」といってたのはどこまで本気かは不明。
  流水のように流れるように打たれているらしいが私にはよくわからない。

本因坊 秀哉
  長考派。少し前までは評価が低かったが、勝負碁は一度も負けていない。

橋本 宇太郎
  天才宇太郎とか、火の玉宇太郎ともいわれる関西の重陳。本因坊戦が開始された
  初期の頃に連覇をし、関西棋院創立の立役者でもある。囲碁の長い時間はかかるが、
  「勝負は一瞬の中にあり」といったのはなんとなくそれも真かなと思わせる。

木谷 実
  新布石の創始者の一人。この人もタイトル戦は不遇。

呉 清源
  昭和の碁聖ともいわれている。新布石の創始者の一人。打ち込み10番碁で対局者
  全員を打ち込んでいき、実質上の名人位と同じことをおこなっている。
  交通事故のあとの治療が悪くなければ現役時代がもう少し長かったでしょう。

田中 不二男
  関西の俊英。若くして死去したが、天才としてしられていた。

高川 格
  本因坊戦9連覇という偉業を達成した人。ただ、後述の坂田 栄男には相性が悪すぎ。
  非力の高川とか、ボウシの高川とか、タヌキとかいわれていたりした。

坂田 栄男
  5年間程ではあるがタイトルを総なめをしまくり、30勝2敗(だったよな)なんて年も
  あった。

藤沢 秀行
  この人を昭和30年代の棋士としていれるかは微妙だけど、感覚派の代表みたいな人。
  ポカも多く、待った有りなら最強ではないかという噂はず〜っと続いている。

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