二十一世本因坊 秀哉って
最後の世襲制の本因坊であり、最後の終生名人。
本因坊秀栄を師とするが、秀栄からはうとまれていた気配があり、秀栄の死後は
この秀哉(田村保寿)派と、雁金準一を養護する秀栄未亡人派の争いがあったようで
あるが、秀栄の弟の秀元(十六世本因坊)が二十世を再襲したあと、秀栄の一周忌の
あと、二十一世本因坊となった。
呉清源の三々、星、天元の布石と対峙したり、木谷實との引退碁などが有名である。
#けど、その有名なのは、のせない (^^;;
二十一世本因坊 秀哉の棋譜からです。
vs 巌埼 健造 1896年12月09日
vs 安井 算英 1902年07月20日
vs 鈴木 為次郎 1915年03月31日
vs 本因坊 秀栄 1896年10月16日本因坊 秀栄の棋譜にLink
1896年12月09日
田村 保寿(黒) vs 巌埼 健造
田村 保寿 打掛け
出典:日本囲碁大系 18 秀哉 榊原章二著
vs 巌埼 健造
巌埼健造は方円社三代目社長。本因坊秀栄に争碁をもちかけたりしたようであるが、
巌埼健造の体力にものをいわせて、長時間対局するのを嫌ったようで、結局はうって
いない。この碁も3日ばかりかかったようであるが、田村保寿の方が先にまいってし
まって、打掛けである。なお、この碁は、白が少しよいと、後に本因坊秀哉(田村保寿)
自身がいっているそうです。
1902年07月20日
田村 保寿(黒) vs 安井 算英
田村 保寿 中押し勝ち
出典:日本囲碁大系 18 秀哉 榊原章二著
vs 安井 算英
安井算英は安井算知の子。この算英で安井家は途絶える。
この碁は序盤そうそう26手で、白の見損じで、最悪38手で、2子を抜けば、まだ
戦えた碁であった。ただし、その後の、102手からは算英の力がでているところだが、
時すでにおそしである。
1915年03月31日
田村 保寿(黒) vs 鈴木 為次郎
田村 保寿 6目負け
出典:日本囲碁大系 18 秀哉 榊原章二著
vs 鈴木 為次郎
ようやっと、大正の碁に入りました (^^;;
鈴木為次郎というと、木谷実の師匠である。多才だったようで、一時期はシンガポール
でゴム園をいとなんでいたようであるが、その事業は失敗して、日本に戻って碁打ちに
もどったようである。なお、秀哉はこの鈴木為次郎の実力を恐れていたようであり、
この対局の後、鈴木為次郎との十番碁が企画されたが、当初、秀哉がその対局をさけて
いたが、碁会のスポンサーであった、大倉喜七郎に申し入れされてはことわれず、
十番碁の手合い料として1万円ならうけましょうと、返事をして、まわりは驚き
あっけにとられたとのこと。当時の対局料は1局50円ほどで、10局いれても、500円
ぐらいが相場。
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