十八世本因坊 秀甫って

実力はあったが、幕末から明治にかけてという時代の背景もあり、なかなか本因坊に
なれなかったヒトである。本因坊として打ったのはただ一局のため、当時の人達には
村瀬秀甫の方が通りがよかったようである。


十八世本因坊 秀甫の棋譜からです。

vs 本因坊 秀和 1856年10月06日(安政3年)
vs 秀策 1857年12月06日(安政4年)
vs 本因坊 秀策 1861年 9月 3日(文久元年)
vs 本因坊 秀悦 1870年10月18日(明治3年)
vs 本因坊 秀和 1871年 5月18日(明治4年)
vs 土屋 秀栄 1886年08月06日(明治19年)
vs 黒田俊節 (明治十数年)

vs 本因坊 秀悦 1870年 本因坊 秀悦の棋譜にLink
vs 本因坊 秀和 1871年 5月 5日(明治4年) 本因坊 秀和の棋譜にLink
vs 本因坊 秀栄 1884年12月21日 本因坊 秀栄の棋譜にLink
vs 本因坊 秀栄 1901年 1月20日(明治34年) 本因坊 秀栄の棋譜にLink
vs 本因坊 秀栄 1904年10月15日(明治37年) 本因坊 秀栄の棋譜にLink

1856年10月06日(安政3年)
村瀬 弥吉(黒) vs 本因坊 秀和
村瀬 弥吉 中押し勝ち

出典:日本囲碁大系 16 秀甫 林 海峯 著

vs 本因坊 秀和

秀甫が本因坊になるには紆余曲折があったが、これは、丈和の後室・勢子が秀甫を
嫌っていたため、秀和が指名するのを遠慮したためとされている。


1857年12月06日(安政4年)
村瀬 弥吉(黒) vs 秀策
村瀬 弥吉 2目勝ち

出典:日本囲碁大系 16 秀甫 林 海峯 著

vs 秀策

この時代白4の星はめずらしいが、秀策はときどき試みているとのこと。
全体的に白は黒に自由にうたせているが、その自由にうたせたかわりに代償を
得るという打ち方をしている。
この棋譜は乱戦であるが、その第一歩は、33の切りから、35ののびである。
これが35の時白一子をかかえれば、少しは違った碁になっていたかも。

1886年08月06日(明治19年)
本因坊 秀甫(黒) vs 土屋 秀栄
本因坊 秀甫 4目負け

出典:日本囲碁大系 16 秀甫 林 海峯 著

vs 土屋 秀栄

秀甫が本因坊として打った唯一の局である。
黒が1,3,5の布石で、白は、左下を百変あるという大斜である。秀甫はこの大斜が
好みだったようで、大斜の棋譜が多い。
白148が不可解な手らしいが、あとは黒の堅実さ、白の華麗さがでている局のようで
ある。

1880年代(明治12年から17年の間)
村瀬秀甫(白) vs 黒田俊節
村瀬秀甫 中押し勝ち

出典:囲碁名勝負100番 田村竜騎兵著

vs 黒田俊節

黒田俊節は関西道場を開いていて五段。先でなら勝てるつもりで、打ったが3たてを
くらっての4局目がこの局。
この対局に負けて、秀甫がいる方円社の一員に加わったとのこと。

1870年10月18日(明治3年)
村瀬秀甫(白) vs 本因坊 秀悦
村瀬秀甫 2目勝ち

出典:黎明秀甫 石田 章 著

vs 本因坊 秀悦

秀甫と本因坊 秀悦の対局が残っている2局の打ちのもうひとつ。
下辺の打ち込み、よくいきられるものだと関心する。

1871年 5月18日(明治4年)
村瀬秀甫(白) vs 本因坊 秀和
村瀬秀甫 6目負け

出典:黎明秀甫 石田 章 著

vs 本因坊 秀和

秀甫と秀和の師弟局で、この頃黒番では秀甫自信ありだが、秀和相手の白は、4〜6目
負けがほとんどとのこと。
白34が敗着とのこと、こんな早くわからないぞ (;_;)

1861年 9月 3日(文久元年)
村瀬秀甫(白) vs 本因坊 秀策
村瀬秀甫 1目勝ち

出典:黎明秀甫 石田 章 著

vs 本因坊 秀策

秀甫と秀策の兄弟弟子の対局で、「秀策、白の名局」といわれるらしい。
この局、平凡なようにみえるが、裏に難解な変化が解説のかかれていて、解説読まない
と着手の意味わからないかも。
って、他の局もそんなにわかるわけでないところが悲しいが

大正時代以前の棋譜
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