本因坊 秀栄って

紆余曲折があり、十三世林家、十七世、十九世 本因坊家を継ぐ。
明治時代に入ってからの名人。「一万局の布石」という伝説がある。
若かりし頃、村瀬秀甫と十番碁を打ち、負け越して、本因坊の名をゆずり、小笠原島に
行き布石を一万局つくったあと、もどってくると、すでに秀甫はなくなっていた。
そのあと、秀栄がいきなり棋力をあげていたというものである。

本因坊 秀栄の棋譜からです。

vs 伊藤 松和 1870年04月06日(明治3年)
vs 村瀬 秀甫 1884年12月21日(明治17年)
vs 田村 保寿 1896年10月16日(明治29年)
vs 田村 保寿 1901年 1月20日(明治34年)
vs 田村 保寿 1904年10月15日(明治37年)

vs 本因坊 秀甫 1886年08月06日 本因坊 秀甫の棋譜にLink

1870年04月06日(明治3年)
林 秀栄(黒) vs 伊藤 松和
林 秀栄 持碁

出典:日本囲碁大系 17 秀栄 高川格著

vs 伊藤 松和

伊藤松和は天保の四傑の一人である。
この時、すでに70歳である。
碁の内容は、黒7白8と江戸時代の序盤をひきづった感じとなっている。
200手までしかないが、盤面の感じでは持碁は妥当らしい。

1884年12月21日(明治17年)
林 秀栄(黒) vs 村瀬 秀甫
林 秀栄 中押勝

出典:日本囲碁大系 17 秀栄 高川格著

vs 村瀬 秀甫

村瀬秀甫との十番碁の第一局。普段は黒を持っては堅実な碁を打つのが棋風の秀栄で
あるが、黒51ときびしく打つ。この碁に対するいきごみではないかということ。
秀甫の白128が失着だそうだが、そのあとの黒が見事で、黒149手が鮮やかな
とどめだそう。

1896年10月16日(明治29年)
本因坊 秀栄(白) vs 田村 保寿
本因坊 秀栄 持碁

出典:日本囲碁大系 17 秀栄 高川格著

vs 田村 保寿

秀栄が打ちざかりの頃の碁。
対する田村保寿は後の本因坊秀哉。序盤は秀栄の打ちまわしがさえるが、左上の三々の
定石が現在とことなる部分から、黒が細かいが逆転する。終盤は右上と中央のコウ争い
からなるフリカワリで、白ががんばり、ついに持碁となる。

1901年 1月20日(明治34年)
本因坊 秀栄(白) vs 田村 保寿
本因坊 秀栄 中押し勝ち

出典:流水秀栄 高木 祥一 著

vs 田村 保寿

28〜34手までが手筋のようなので、覚えておくと得かも。
あと100手がすばらしい手だそうなのだが、私の棋力ではよくわからず。(2004.12.10)

1904年10月15日(明治37年)
本因坊 秀栄(白) vs 田村 保寿
本因坊 秀栄 中押し勝ち

出典:流水秀栄 高木 祥一 著

vs 田村 保寿

秀栄の絶局の棋譜です。

大正時代以前の棋譜
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